
平成20年10月15日~10月17日
創明クラブ 田辺 昭人
「北方領土返還要求運動 神奈川県民会議」の呼びかけで行われている視察研修に参加した。そして、北方領土問題の現状と今後の課題について、自らの目で見、また感じ取ってみたいと思う。
行程は羽田より一路空路にて釧路まで、ここからの移動はすべてバスを利用し、初日の研修先である納沙布岬へ、ここで一泊。そして翌日は根室へと移動し国後島を臨み研修後、知床で2泊となる。翌最終日は女満別空港までの移動し、全行程の終了という予定であった。全行程2泊3日、北海道の東部を対象としたルートである。
目的地への移動時間がかなりかかることから、改めて同地の広大さを実感した。報告書作成にあたって、最終日は移動のみであることから割愛することとした。
定刻10時30分に釧路空港へ到着、この時期の当地気温は朝は7度最高気温も18度位といわれ、もはや初冬の趣である。それでもふだんよりも異例といえる暖かさとのこと。
バスに乗車し、一路根室納沙布岬へ。昼食をはさんで約4時間の移動である。私にとっては初めての道東であり、どこまでも続く直進の道路の長さや、その両脇の田園風景に改めてその広大さを実感した。
現在、当地の日没は4時半と早いため、日没前に目的地である納沙布岬「北方館」に向かう。納沙布岬へと進行する海岸線沿いに歯舞群島が見えないものかと目をこらしたが、気温の高さが原因でガスが立ち込めて、残念ながら車中から臨むことはできなかった。
「北方館」は根室半島最東端・納沙布岬に位置しており、北方領土返還要求運動の原点の地である。ここでは、四島と書いて(しま)と読む。四島の一括返還への強い思いの言葉であろう。目前の海峡に連なる歯舞群島、その中の一番近いとされるのは貝殻島はこの場所から僅か3.7キロということである。
終戦までは852世帯、5281人の日本人が住んでいたというこの地は現在、ロシアの国境警備隊が常駐するだけである。各島は昆布や魚の宝庫として、多くの漁民の生活の場であったが、厳しいロシアの取締によって銃撃を受け、死傷する事件や拿捕の問題など、長期にわたり引き続いている。現在はロシアとの協定で6月~9月まで貝殻島周辺でのみコンブ漁が許されている。しかし、入漁料として、1軒当たり約40万円のお金をロシアに払うのだそうだ。我が国の領土でありながら、またそこで生活を送る人々が、なぜロシアにお金を払わなければいけないのか。どうにも納得ができない。
「北方館」の方から四島の現状について、説明を聞く。現在、ロシアもこの周辺の豊かな水産資源に着目し、新たな資本投下を行っている。まず、これまでのへき地から脱皮するべく上下水道の整備など、インフラ整備に力を入れているそうである。
一方、1991年から、領土問題解決のための環境整備を目的として、ビザ無しでの相互訪問が可能になった。ロシアの発給する査証を取得して北方四島に入域することは、ロシアの管轄権を認めることになることから、この点は理解すべきことだと思う。しかし、ロシア人との交流を深め日本の立場を理解してもらうことも重要ではあるが、同時に侵略、略奪の事実をしっかりと伝えなければならない。
根室市内では、道路上の町名表記にロシア語が明記されている。これは、根室港へ入港するロシア船の乗員や貿易の関係者向けだそうである。このことから、貿易を通じて交流が進む、両国間の現況を表しているように感じた。
朝。起きてみると既にストーブに火が入っている。気温は7度程、暖かい朝とのこと。
朝食をとったのち、次の訪問先である「道立北方四島交流センター」へ向かう。車窓より見る根室の街は漁業中心の最前線基地のたたずまいである。以前は国内すべての食品加工会社の工場が立ち並び、隆盛を誇ったとのことだが、その意味においては現在、見る影もない。漁業の形態としては、一人親方の船頭的経営ではなく、法人化された網元的経営のイメージである。素晴らしい屋敷の横で、朽ち果てる廃屋。目に映る街並みの中に、何か社会格差と厳しさを感じた。
「北方四島交流センター」に到着し、館内の説明を受ける。日ロの文化に関する資料展示室を併設したこの施設は、本来、ビザなし交流によって来日したロシア人に対する来日第1歩としての利用目的がある。同施設の利用によって、両国間の考えの違いや日本の立場をやんわりと知らしめるべく目的があると感じた。
次に、岩田先生という現在80歳になる択捉島の旧島民の方の講演を聞く。岩田氏は択捉島で生まれ、進学する16歳まで島で育ち、戦後は樺太経由で引き揚げた経験をされている。いきなりソ連の侵攻をうけ、国籍を捨てて、この地に残るか国籍を取って追い出されるかの選択を迫られた話は、大きな衝撃をもって聞かざるを得なかった。
旧北方四島には約17000人の日本人が住み、日本の国土で生活をおくっていたそうである。その人々が強制的に排除されて国内に移り住み、苦労を余儀なくされた歴史がある。根室市の人口、現在約3万人のうち5人に一人が北方四島出身者との話も聞いた。岩田氏も含め、旧島民の高齢化はいうまでもない。島民にとっての唯一の故郷はこの北方四島であり、それを奪ったのは旧ソ連であり、ロシアであることを全ての日本人は忘れてはならない。
実際に現地へ赴くことで、これまでわかっていたつもりの理解が、どの程度のものだったかと気がつく。
これまで私もこの北方領土問題には何らかの形で共鳴し、活動の一助となればとの思いがあった。また「北方領土の日」が1855年の「日露通好条約」の締結にちなんで制定されたことには反対で、むしろ8月9日の日ソ中立条約が一方的に破棄され、ソ連が侵略行動に走ったこの日が相応しいと思っている。これまで、ソ連・ロシアの首脳が変わるたびにコロコロと領土問題に関する認識が変わり、一向に前に交渉は進まず、結果平和条約の締結もほど遠い現状。大変嘆かわしく思うと同時に、市民、国民の立場からも訴え続けていかなければとの思いである。
前述のように、もはや北方四島旧島民の高齢化にこれ以上の待ったをかけてはいけない。ひとりひとり、日本国民として、人ごとにせず北方領土返還要求運動の声を上げていかなくてはならない。
最短で3.7キロの貝殻島の国境線は半分の距離1850メートルである。その線を越えるとロシアの警備艇から銃撃を受けることになる。このような理不尽がいつまでも許されてはならない。国家間の返還要求交渉は当然として、国民レベルとして、63年前に何の根拠もなく財産を奪われ、追い出された人々の当然の権利をロシア国民に対し、訴えていくことを並行して行うべきと考える。これから、私もその一人として、声を上げていこうと考えている。
