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2009年8月 アーカイブ

2009年8月 1日

八月・閉話休題



予報では、今日明日と今いちの天気となっていましたが、なかなかの好天となり、開国祭花火も賑わうことでしょう。

八月になり、一年間の三分の二が経過したのかと思うと、焦りに似たものを感じてしまいます。

昼間の時間があったので、事務所で下半期の活動について、計画を練っているところです。

土曜日ということもあって、電話も少ないので考える時間には、もってこいです。そういえば、普段は動きっぱなしで考えることなど、なかったもんなー。そんな中、ふと故事事典に目がとまり、開いてみました。流れる水は腐らず。という言葉が、真っ先に飛びこんできたのです。これは、常に動き続けよということです。流れている水が腐ることはないが、澱んでいる水はすぐに腐ってしまうことから、活動し続けていれば、人間的にも仕事的にも停滞することはないという例えだそうです。

実に深い言葉ですね。ちょっとクサイかも知れませんが、胸にしまっておきたい言葉でした。

それから、ひさしぶりの愛犬テツであります。実は今月で一歳になります。たまに、読者の方からテツ君はどうしたの?と聞かれるので久々の登場となりました。

相変わらず、お人よし顔のテツ君でした。

2009年8月 4日

自民党県連大会



横浜で、党県連大会が開催されました。

来るべき衆議院選挙を控えて、党員が一丸となって結束を固めた集いと、なりました。

竹内県連幹事長の開会に続き、すが県連会長の挨拶では、現状の危機感とともに、これからの再生に向けた決意を聞きとることが出来ました。

その後、壇上に神奈川県下18選挙区の候補者17名が上がり、それぞれの決意を表明しましたが、9区については未だ空白になっており、つい4年前の郵政解散の頃を思いだすと、まさに隔世の感を覚えました。

各候補者への声援もさまざまであり、不安を感じる状況も正直あります。しかし、選挙は我が自民党であれ、他党であれ政党を選ぶ前に 候補者本位・政策本位で選択することは同じです。頑張った前職や新人の国政に対する熱い想いが、いかに国民に評価され、支持を受けるかが、選挙の大きな要素であります。そして、所属する政党の政策実現能力と信頼性が、候補者を支えることになるのだと思います。

我が自民党は、この機会に猛省し、国民本位の政党に立ち返るべきです。しかし、誇りを失うことなく、責任政党として内外に対し、きっちりとした姿勢を示していかなければならないと考えます。

このことについては、その後に登壇した麻生総裁の言葉からも、ひしひしと伺うことが出来ました。なので、今回は失言はありませんでした。

2009年8月 9日

八月九日

今日、8月9日は先の大戦に関連して

12月8日の太平洋戦争の開戦、8月15日の終戦の日

そして、8月6日広島・9日の長崎への原爆の日と同じく

日本人が決して忘れてはならない日である。

現在のロシア(旧ソ連)は1945年8月9日、

当時まだ有効であった日ソ中立友好条約を無視して

対日参戦を仕掛けた。

そして、8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し降伏の意図を

明確にした後の8月18日、カムチャッカ半島から進撃し、

千島列島の占領を始めて31日までにウルップ島に至る

千島列島の占領を完了した。

また、樺太から進撃した旧ソ連軍は当初、北海道の北半分と

北方4島の占領を任務としていたが、

アメリカの強い反対にこれを断念し、米軍の不在であった

北方4島に対し、兵を集中して8月28日から9月5日までの間に

国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島の全てを占領した。

この一連の経過が現在に至るロシア(旧ソ連)の

我が国固有の領土である北方領土に対する不法占拠の実態である。

 

私は昨年、「北方領土返還要求運動国民会議」の視察に参加し、

根室側からではあるが、目前に迫る我が国土が

他国に蹂躙され続けられている現状を目の当たりにした。

ともすれば、忘れ去られがちとも思うこの問題に対し、

我々日本人は今後も引き続いて、返還要求の声を

挙げていかなければならないと思う。

何故ならば、当時国籍の変更を強制され

それを拒否した島民は強制退去を余儀なくされた。

その元島民の方々の高齢化が進み

長年の希望である帰島が叶わない状況を

国の責任として、一刻も早く解決しなければならない。

そのためにも、私たち国民はこのことを忘れることなく

記憶にとどめ、不法に占拠されている「北方領土問題」に対して

声を上げ続けていくことが重要と考える。

 

昨日、1991年のソ連崩壊後、厳しい生活環境にあった

4島に住むロシア人に対する「人道支援」を

一方的に断るという内容が報道された。

身勝手な言い分に呆れると同時に

ビザなしの自由訪問の道が閉ざされてしまう危惧を覚えた。

 

国はこの問題に対し、逆行することなく毅然とした態度で

ロシアとの協議を続けていくよう期待したい。 

 

2009年8月13日

特攻隊の唄

8月15日の終戦の日が近づくと、思い出される唄がある。

これは、私たなべが学生時代に覚え

先輩から代々、歌い引き継がれてきたものである。

その唄は「特攻隊の唄」といわれているもので、

作詞・作曲者も不明である。

その歌詞には、その時代背景や

特攻隊員として、死地に赴くその思いが

切々として胸に響くものがある。

恋人への思いであり、家族への思いであり、また友人への思い。

国の未来を案じつつ、散っていった青年達の思いである。

 

「特攻隊の唄」

1.ある晴れた日に 俺は死ぬ

 空の翠に融けて散る

 そのとき俺は恋人の 名前をそっと呼ぶだろう

 

2.ただ一筋に 靖国の 

 宮へ続いている命

 いつでも俺を呼んでくれ 霞ヶ浦で待ってるぜ

 

3.嗚呼もう一度 お母さん

 逢ってお別れしたかった

 十九になったその日から 明日を捨てて死ぬを待つ

 

 

2009年8月19日

少し、お休み

昨日、衆議院選挙が公示されました。

そのため、暫くの間、ブログを休止いたします。

横須賀の未来、そしてこの国の未来を託すに相応しい候補者を

その分、めいっぱい 応援していきます。

宜しくお願いします。

2009年8月31日

衆議院選挙を終えて



長い、辛い戦いが、終わりました。思えば、去年9月の小泉元総理の政界引退表明後、その後の後継問題を我が自民党支部で協議を重ねたのが、つい昨日のことのようです。協議の結果、国政への熱い思いをもって自ら名乗り出たのが、小泉進次郎でした。

そんな経過から、私たなべは進次郎を世襲だなんて思っていません。しかし、選挙戦は決して楽な戦いではありませんでした。先ず自民党に対する強い逆風がありました。これは、最後まで打ち崩すことができませんでした。

そんな中で、救いがあったとしたら、進次郎自身の強い信念だったと思います。

自民党への批判、世襲への批判、国替えをしないことへの批判に対して、自分の言葉でしっかりと説明を続けてきたことが、結果として候補者本位・政策本位の選挙に繋がったのではないでしょうか。この横須賀から、心のきれいな政治家が誕生したことを本当に嬉しく思います。

私は、この28才の青年に横須賀の未来、そしてこの国の未来を託しました。地域の声を代表して、中央に届けることが出来る男です。新たな仲間の誕生です。

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